「だからあなたも走りぬいて」    06.08.20
                      フィリピ3:12〜17

 私たちは主イエス・キリストを信じる信仰によって救われた
キリスト者です。
 イエス・キリストに結ばれることによって生かされている
信仰者であります。
 聖書には、キリストに結ばれた信仰者の姿はどのように
記されているでしょうか。
 それを見ますと、「新しく創造された者」、ですとか、「全てに
おいて聖なる者とされた」ですとか、あるいは「罪を犯さない
(犯すことができない)者」などと書かれています
 しかし、クリスチャンの中で、このような条件を備えている人が
どれほどいるでしょうか?ほとんどの方が、「どれ一つとして
当てはまらない。」とお考えになるのではないでしょうか?
 私自身もそうです。
 私たちはキリスト者でありながら、なお罪の歩みを重ねて
いるのが現実です。
 それでは、クリスチャンと呼ばれている人々のほとんどは、
実際のところ信仰者ではない、キリストに結ばれていない、と
いうことになってしまうのでしょうか。
 そうではありません。上に挙げたような条件というのは、
信仰者として完成された姿です。
 「完全」の領域に達した人の姿です。
 これに当てはまる人は、あえて言うならイエス・キリストただ
お一人です。
 信仰者で、ここに既に達しているような人は一人としていません。
 なぜなら、信仰者の歩みというのは、この「完全」を目標として
ひたすら走り続けるような歩みだからです。
 そして、その走りが「ゴール」に達するのは、この世の終わりに
主イエスが再びこの世に来られるときです。
 その時に、私たちが完全にされることは、約束されているのです。
 ですから、今現在においては完全でなくても良いのです。
 そんな自分の姿に苛立ったり、失望したりすることはありません。

 しかし、大切なことは、現在の自分にとらわれずに、「完全」と
いう約束された将来に希望を置いて、そこに向けて全力で
走り続けることです。


 それはパウロのような偉大な信仰者であっても例外ではありません。
 だからこそ、パウロも私たちに、そのようにあってほしいと願って
いるのでしょう。